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しんのすけのいない夏 序章
青年は使い古された座布団の上に正座している。
おろしたてのスーツに身を包み、お茶を出すというその家の母親の申し出を丁寧に断り、
夫婦が寝室として使っている部屋の一角に置かれた仏壇をじっと見つめていた。
ひざの上に置いた拳を軽く握り締めると、風間は口を開いた。

「しんのすけ、僕たちはこの春から大学生になるんだ。もう車の免許だって取れちゃうんだぜ」

彼の口調は幼稚園の時とほとんど変わっていない。
ただ少し、お高いプライドを振りかざすようなとげのある喋り方ではなくなった。ホンの少しだけだが。

「ボーちゃんは北海道の大学で農業を勉強するんだ。これからの時代は農業がくるんだって。
 ネネちゃんは服飾の専門学校。まさお君は一浪してなんとか国立大学に入るってさ」

仏壇に置いてある写真の中で彼は屈託のない笑顔をしている。
僕達はこれからもずっと一緒にいるんだろうなぁと信じて疑わなかった頃の写真だ、と見る度に風間は思う。

「僕は東京の一流大学さ。……推薦では落ちたけど、まぁ普通に受験しても僕の頭じゃ受かるんだけどね。
 だからな、東京の大学に行くから、僕引っ越すんだ。東京で一人暮らしだよ。お金はママが仕送りしてくれるからいいんだけど、
 ここに来られるのは夏休みと冬休み、それと春休みぐらいしかないんだ」

風間は月に一度、必ずここに来ていた。
話す内容は松坂先生はまだ結婚できないとか、まさお君のドジ話などの他愛もない話。
しかし欠かすことなく、月に一度は絶対に仏壇の前で手を合わせ、話をしているのだった。
あの日から、ずっと。

「だから次来る時は七月位になるのかな? 今度来た時、東京で洗練された僕のカッコ良さに腰抜かすなよ?」

わかってはいるが、返事はない。

「じゃあな、しんのすけ。お土産は買ってきてやるから心配するなよ」

風間は立ち上がり、みさえに一礼して家を出た。

今年は春の訪れが遅い。
春一番はとっくに吹いたのだが、それから温かくなることもなく桜はつぼみを半分もつけていない。
風間はママに買ってもらったお気に入りのコートの襟をぐいと引き締め、歩き出した。
生垣の隙間からは去年死んだシロのお墓が寂しく見える。
幼い頃あれだけ広いと思っていた道路だが、車が一台通るだけで路肩に身を寄せなければならないほど実は狭く、
三輪車で走っていた頃はよく事故に遭わなかったな、と風間は思う。

帰る途中にある公園はその装いをほとんど変えていない。
数年前に小学生が時計に石を投げて壊してしまい、時計が新しくなったこと以外変わってはいなかった。
公園は変わっていないがそこで遊ぶ子供の姿をあまり見かけなくなった。
季節が季節なのだが、それでも少ない。

ふと前を見ると制服を着た女の子が二人、なにやら怯えているようだった。

「うへへへへ〜」

女の子の前に男が立っていた。
雑に禿げた頭に汚れたジャンパー、寒気がするような笑みを浮かべながら女の子達ににじり寄っている。
時折変質者が出没するなんて話を聞いたなぁ、と風間は思った。
男と女の子達の距離は徐々に縮まっている。
悠長にそんなこと思っている場合ではない、風間は男に向かって駆け出した。

「おい! そこの――」
「ゆうちゃーん! あっちゃーん! 待ってぇ〜!」

意を決した風間の声よりも大きな声がした。
道の向こうから走ってくる女の子が一人。
くせっ毛の前髪をモフモフ揺らし、オレンジのマフラーをなびかせながら再び友人達の名前を叫んでやってきたのは、ひまわりだった。

「もぉ、トイレ行くから待っててって言ったじゃんか〜」
「だってひまわりトイレ終わったらなんか変な歌歌って踊ってたんだもん」
「そうだよ。また長くなりそうだったから先帰っちゃおうと思って……」

友人達の言い訳にひまわりは膨らませた頬を緩めない。
あれはトイレから出てきた時リクエストされたのだ、とひまわり。
もうそんなことにイチイチ応えなくてもいいんだよ〜、と友人二人。

盛り上がる女の子達に取り残された風間と、変質者。

「ところでおじさん誰?」

ひまわりにいきなり話を振られ一瞬戸惑った変質者だが、再び気味の悪い笑みを浮かべる。
怖気立つ友人達の前でひまわりは仁王立ちして男を睨んだ。

「まさかおじさん……あっちゃんのお父さん?」
「んなわけないでしょ!」

友人の一人、あっちゃんが叫んだ。
ゆうちゃんは、またいつもの調子か、と溜め息をついている。

「じゃあ血は繋がってないけどパパって呼んでる人?」
「違ーう! 私とこいつは全く関係ないの!」
「んもう照れちゃって〜」
「照れてないぃ!」

風間の中で何かがじわりと滲んできた。
あっちゃんという子に共感し、共鳴したせいだった。

「お姉ちゃん達かわいいね〜。おじさんと一緒に遊ぼうよ〜」
「え〜でもアタシこれから帰ってテレビ見ないといけないし〜」
「ひまちゃんそんな真面目に答えなくていいの! こいつ最近噂の変質者だよ!」
「うへへへ〜」

男は両手を広げて襲い掛かってきた。
泣きそうになってしゃがみこむ友人達を背中にひまわりは何かの構えをとる。
気合を入れて短く叫ぶと、男の動きが一瞬止まった。
ひまわりは流れるような動きで後ろを向くと思いきり男に向かって飛んだ。

「アクションヒップアターークッ!」
「うがっ!」

突き出したお尻が男の腹部に当たり、男は吹っ飛び倒れた。
男の目は一瞬にして恐怖に満ちあふれ、情けない声をあげながら走り去っていった。
それを見てひまわりは右手をななめに上げ左手を腰に置くと、右手の手先を見るように首を回して笑った。

「ワーハッハッハッハッハッハッハッ!」

風間は立ちすくんでいた。
ひまわりの笑い声に幼い男の子の声が重なって聞こえたからだった。

ひまわりは腰を抜かした友人を立たせると髪を撫でながら言った。

「んもう情けないよ、貧乳戦隊の一員なのにさぁ」
「そんなものに入った覚えはないぃ! ……でもありがとう、ひまちゃん」
「いいのいいの」

その後一、二分話した後ひまわりと友人達は別れた。
そして呆然と立っている風間にひまわりは気付いたのだった。

「まさか風間さんに見られてたなんて……」
「いやぁ僕もたまたま見てただけだから……それよりすごかったよ」

公園のベンチに座る風間とひまわり。
すぐ近くにある自動販売機で買ってきたホットココアを二人で飲んでいる。
公園には他に犬の散歩できていたおばさんが一人いるだけだった。

「あれは、テレビの真似しただけですから」
「でも友達を助けるなんてカッコイイじゃないか」
「そんなんでもないです……」

ひまわりは謙遜の色で滲み出る嬉しさを濁そうとしているが、全く効果が見えない。
風間やボーちゃんたちと話す時、ひまわりは態度が縮こまる。

「それより風間さんもあんな所で何を?」
「あぁいや、君の家から帰ってくる途中だったんだ」
「あっ……」
「もう東京に行かなきゃいけないから、その挨拶をさ」

ひまわりは両手で持ったココアを一口飲むと、マフラーに顔を埋めた。
マフラーに埋まりきらなかった目元を見て、おばさんよりしんのすけに似てるな、と風間は思った。

「風間さん達が覚えてるお兄ちゃんの姿って、どんな感じだったんですか?」

マフラーのせいで声が篭ってはいたが、風間にははっきりと聞こえた。
風間はココアを飲んで返答を遅らせると、ひまわりは言った。

「アタシ、お兄ちゃんの記憶がほとんどないんです。ほとんどっていうか、全く……」
「まぁ、君は小さかったからね……」
「でもなんとなく、楽しかったことだけは覚えてるんです。っていうか、楽しかったんだろうなぁとは思うんです」

ひまわりは空を見上げ、薄っすら微笑んだ。
小さな雲が一つだけ浮かぶ空は抜けるような青空だった。

「しんのすけは……君のお兄さんはひまわりちゃんのこと大好きだったと思うよ」
「……ハイ」

もしかしたら今の言葉は酷だったかもしれないと風間は思った。
それでもひまわりの顔から笑みは消えていなかったので、風間は安堵してココアの缶に口をつけた。

十三年前。
この公園の少し先の場所であの事件は起こった。
まとめ
2007年03月05日(月) 22時57分45秒 公開
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作者からのメッセージはありません。

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導入としては引き込む
また続きを聞きたいですねぇ
10 taka ■2007-04-08 02:42:43 210.157.220.67
コメントテスト 50 まとめ ■2007-03-05 23:11:36 124.99.147.129
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