暇だしホモの俺の半生を話してVIPの皆に笑ってもらいたい
始まりは親父の死だった
俺は四人兄弟の3番目で15.父母兄姉俺妹で暮らしてた
俺が厨三の時親父は交通事故で死んだ。即死だった
親父は自営業というか音楽関係の製作事務所をやってて
中よりは上の暮らしだったんじゃないかと思う
母は元クラブホステス。水出身が一目で分かるような派手な人だが
ご近所さんともうまくやってて、まぁいい人だった。
母は親父の死後、なんとクラブホステスに復帰
昔働いてた店でママだか店長だかをやることになった
親父が死んだことで変わったことは家が変わったくらいだった
事務所兼一戸建てだったのがマンションに変わった
俺と妹は私立のそこそこかねかかる学校にいかせてもらいつずけ
兄貴と姉貴の大学生活はほとんど変わらんかった
お袋は仕事のいそがしさに俺達の世話はしなくなりつつあったが
本当に頑張ってくれたと思う。今もだけど
飯とかは姉貴と俺が中心にやってた
だが、DQNを発症しかけていた俺はちょと変わりつつあった・・・
暮らしむきはうまくシフトしていったんだが
俺はホントDQNになりつつあった
言い訳すると親父の死がすげえこたえた
事務所にあったギターとかドラムとかマンションになって触れなくなったし
俺は親父と兄弟の中で一番仲が良かった
がきの頃から親父の仕事に興味があってよく取引先や
芸能人とかはあんまりいなかったけど、プロのスタジオとかに引っ付いてった
学校それでたまにサボってもなんか喜んで連れて行ってくれた
こんな性格だったのであんまり友達はいなかった
あんま喋らんほうだったし、成績はなんとか、中高一貫で振り落とされんとこと
キープするくらい
なんで親父の死後はちょっと引きこもった
親父の事務所に雇われてた男がいた
まぁ、Aってことでね。
親父が死んだ時にはもうこいつは独立してて自分の事務所をもってたんだが
こいつにはよくちいせぇ頃から姉貴と俺と妹と遊んでもらった。
仕事もプライベートもともに付き合いがあったんだ
親父が死んだ時に、残務処理をしたお袋は残ってた仕事やら
お得意とかの引継ぎをAにすべて任せた。
機材とかもいくばかこいつに引き取ってもらった
(言い忘れてたけど親父死ぬまでお袋は親父の事務所手伝ってた)
で、コイツは親父の死後も兄貴除いた俺の兄弟を良く招いてくれた
俺は正直嬉しかった。
こいつの事務所に行くと引き取られていった親父の音楽機材にさわれたり
親父の事務所の雰囲気がまだあるようで、俺の鬱を埋めてくれてる気がした
なによりAが親父のように思えた
高校に上がると、さすがに姉貴が俺を引っ張って高校に行ってたが
俺は休みの日とか放課後はこいつの家に入り浸った
で、Aはメッタくそ女にもてた。
ツラもよかったし情も頭もあった。中卒だけど
結婚はしとらんかったが事務所(兼家)にあがると
明らかに女連れ込んだ後だったりなんどかギシアンしていることがあった
でもなんでかAは俺にいつは来るなとか言わんかった。
その頃俺はお袋と学校サボリが原因でけんかになり
家に戻らんことも多々あった。
そんな時はAのトコに泊まっていた。
高1の夏休み
俺はほぼ全てAの家で過ごした。
俺が高校辞めたいとお袋に切り出して大戦争になったから
Aは受け入れてくれ、姉貴が心配してなんどか様子見に着たりした
Aは家に帰ってやれよ〜とか言いながらも
俺に仕事を手伝わせてくれたりしてた
ほいで忘れもしません。8月の30日だった
俺は高校辞める気満々でこれからAに雇ってくれないかと切り出すつもりだった
家には帰りたくなかった。お袋がうざかった。その頃になると兄貴もうざかった
俺は仕事上がりで自室で寝てるAがおきてくるのをまってた
いままで優しくしてくれたんで、
Yesといってもらえる変な自信が何でかあった
そんでも俺は断られたらどうしようとか姉貴が泣くだろうなとか
また妙な干渉に浸りながらAの事務所の機材棚で備品の整備をしてた
上の棚をごそごそしていると、なんか上から落ちてきた
ある雑誌だった
それはウホホな男の絡み写真集だった
ジャニ系の女じゃねえかとおもうようなツラのハメ取りから洋物まで
俺は 固 ま っ た
十冊以上あるそれを俺は急いで棚に戻そう・・・としたら
その棚からまだまだ出てきた
表紙が劣化しかけてるものあったから古いものも含まれてるだろう
俺マジ克目
手が震えてへんなあせでた
だってそうだろ 俺Aが女とギシアンしてるのみたし!
緊張しすぎて吐き気と眩暈
俺はなんとか棚に雑誌を押し込むと
家に帰った
作者:
まとめ
2007年04月04日(水) 17時27分22秒公開
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